Column Vol.21
「舞鶴引き揚げの日」特別展示との同時開催 〜第153回「水路記念日」パネル展〜
第八管区海上保安本部 海洋情報部監理課
「舞鶴引き揚げの日」特別展示との同時開催 〜第153回「水路記念日」パネル展〜
第八管区海上保安本部 海洋情報部監理課
舞鶴引揚記念館(京都府舞鶴市)と第八管区海上保安本部では、令和6年9月4日から10月11日までの間、初めての試みとして、舞鶴市役所ロビーにて「舞鶴引き揚げの日」特別展示と、第153回「水路記念日」パネル展を同時開催しました。
引き揚げの町として知られる舞鶴市では、舞鶴港に最初の引揚船が入港した10月7日を「舞鶴引き揚げの日」と定めています。第2次世界大戦末期、ソ連(現ロシア連邦)が満州や南樺太へ侵攻し、60万人以上といわれる日本の軍人・軍属がシベリア等へ抑留されました。舞鶴港が昭和20年9月に引揚港に指定されてから、昭和33年に最後の引揚船が入港するまで、引き揚げには13年の歳月が費やされています。特別展示では引揚桟橋の模型のほか、引揚船から引揚桟橋まで引揚者の移送に従事した巡視艇「白杉(しらすぎ)」の模型なども展示されました。
また、海上保安庁では、現在の海上保安庁海洋情報部の前身である兵部省海軍部水路局が明治4年(1871年)9月12日に設立されたことを記念し、この日を「水路記念日」と定めています。設立から153年目にあたる今回のパネル展では、初代水路局長「柳 楢悦(やなぎ ならよし)」や日本初の海図作製に貢献した地元舞鶴出身の「伊藤 雋吉(いとう としよし)」の紹介、明治時代から現在に至る日本の海図作製の歴史、江戸時代に伊能忠敬が作製した伊能図から明治、昭和を経て現在に至る舞鶴港の海図の変遷、舞鶴引揚援護局や引揚桟橋が掲載されている当時の海図などを展示しました。
展示をご覧になった方々には、当時の歴史や港の変遷、そして風化させてはならない引き揚げの歴史などを知っていただくことができました。

「舞鶴引き揚げの日」特別展示

「水路記念日」パネル展

巡視艇「白杉」模型

舞鶴引揚記念館