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菅島灯台
 菅島は、周囲約12kmで東南は太平洋に面し、北方の答志島、西方の坂手島との間に鳥羽湾を形成しています。付近周辺には数多くの岩礁があり、古くから舟人を悩ましていました。江戸時代に入り西廻り海運の発展で航路筋の菅島付近で難破する船が続出したため、幕府がこの地に船の目標として「かがり火」を設けました。
 江戸時代末期、英国等の外国と結んだ通航条約により、西洋式灯台の建設が始まり、菅島灯台は英国人技師R.H.ブラントンの設計で明治5年1月(1872)着工、約1年後に完工。明治6年7月1日に点灯。
 菅島灯台は、日本初の円形レンガ造りで現存する日本最古の灯台で明治6年7月8日の就工式には参議「西郷隆盛」以下政府高官が出席したともいわれております。
 現在も西洋の城砦を思わせる容姿で百年を超える長きにわたり、沖行く船への慈愛のともしびを輝き続けています。
 また、灯台の付属官舎もレンガ造りの洋式住宅として建てられ、現在、愛知県犬山市の明治村に移築保存され、昭和43年重要文化財の指定を受けているとともに、舞鶴市のレンガ博物館にも当時のレンガが展示されています。
 初点時の光源は落花生油を使用した二重芯火口灯器、灯火は500燭光の不動白光でフランス製四等フレネルレンズを使用していました。大正8年年9月8日(1919)乙式石油灯器に変更、大正13年2月19日(1924)乙式石油灯発煙事故により四等フレネルレンズが破損し国産レンズに交換しました。
 この歴史的価値ある菅島灯台が、平成21年2月に経済産業省から近代化産業遺産に、平成22年2月に文化庁から登録有形文化財にそれぞれ登録され、令和4年9月には文化庁から重要文化財に指定されました。(重要文化財の指定に併せて登録有形文化財の登録は抹消されました。)
所在地 三重県鳥羽市菅島
設置・点灯 明治6年7月1日(1873年)
灯質(光り方) 単閃白光 毎4秒に1閃光
光達距離 7.5海里(約14キロメートル)
アクセス [経路1]
(近鉄・JR)鳥羽駅〜鳥羽市営定期船乗場(鳥羽駅〜徒歩約5分)〜菅島(約20分)〜灯台(徒歩約20分)
[経路2]
伊勢道伊勢西IC〜伊勢二見鳥羽道路〜国道42号〜鳥羽市営定期船乗場〜菅島
初点灯時の菅島灯台と付属官舎
昭和初期の菅島灯台と付属官舎
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現在の菅島灯台
現在の菅島灯台
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現在の灯器
現在の灯器
記念の石碑
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