大正14年6月 着工
 かねてからの主要航路の標識として灯台建設の強い要望があったが、施工困難なため着手されていなかったもの。
昭和2年12月1日 女島灯台初点灯(4等)
昭和3年1月1日 簡易気象観測開始
昭和4年5月1日 無線電信局設置(公衆通信業務開始)
昭和12年11月  日華事変勃発とともに、国防上、気象業務の重要性が認識され、企画院気象業務総会において整備拡充が審議され、観測上重要場所に位置する航路標識においてこの業務を行うことを決議。以後昭和13年以降5カ年継続事業として気象観測設備及び、通報用通信施設、局舎等の新設開始。
昭和15年1月1日 正規気象観測業務開始
昭和16年10月1日 無線方位信号所業務(標識・方向探知)開始
昭和17年6月 気象舎(2階建て)建設
昭和20年6月8日  戦火が迫り引き上げ命令により女島灯台職員及び職員家族全員退去。レンズ、回転機器等は女島山中に埋設保管(空襲20数回)
昭和20年11月5日 進駐軍、女島灯台施設を爆破
昭和23年3月1日 女島灯台、戦災復旧
昭和23年5月1日 官制改正により灯台局より所属替え
(内訳)
灯台敷地            1,498坪
幹線道路            1,476坪
所有地買い上げ         715坪
昭和8年に買い上げ地の一部崩壊滅失234坪減
合計               3,455坪(11,421m²)
昭和25年 方向探知整備
昭和27年3月 第三吏員退息所復旧(S20.11米軍により爆破されたもの)
昭和28年5月1日 女島灯台滞在交代に移行
昭和28年8月1日 官公制度(航路標識事務所制度)が発足し、女島灯台が玉之浦航路標識事務所に変更、告示内容(仮灯)
昭和28年10月 前浜に船着場建設
昭和28年11月1日 公衆通信業務取り扱い開始(女島―長崎海岸局)
昭和28年12月11日 仮灯変更
昭和29年2月 方向探知機が手動式から自動式に、受信機がスーパーへテロダイン化される等無線局の近代化が始まる。
昭和29年5月20日 光度、光達距離変更
昭和29年5月31日 巡視船による滞在交代開始
昭和29年10月1日 海水温度観測開始