当初、灯台に必要な燃料油、灯器、備品、消耗品などの物資は「灯台補給船」が運んできました。日御碕沖(荒天の場合は南の黒田湾)に仮泊し、搭載艇や地元の漁船により、灯台の倉庫まで運ばれました。
補給船は、全国津々浦々の灯台を回り、物資の補給以外に業務視察、航路標識精度測定、転勤者の輸送などとともに、灯台職員と家族の健康診断、慰問品の配布、船内での映写会、会食など福利厚生も行っていました。厳しい環境で、孤独感と娯楽の欠乏に耐えていた職員と家族にとって、年一回の補給船の寄港は、大きな心の支えになったと言われています。
昭和40年頃になると陸上交通や生活が便利になり、船による物資の補給はほとんどなくなりました。
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