前書き |
前回は、復元された瀬戸内の灯明台について、ご紹介いたしました。
今回は、耶良埼灯台編の最終章として、大正13年に耶良埼灯明台に替わり厳原町が設置した「耶良埼灯竿」及び昭和23年に耶良埼灯竿が海上保安庁に移管された当時の状況などについて、当時の記録や写真などを織り交ぜながらご紹介する予定にしていたところ、カラーコピーではありますが江戸時代の対馬の状況を描いたと思われる大変珍しい「古絵地図」を入手いたしましたので、これまでの推察も振り返りながら、耶良埼灯台編を取りまとめてみたいと思います。
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「耶良埼灯台・古代のロマン〜その6」
幻の古絵地図から
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年も明け、ようやく正月気分が抜け去ろうとしていた頃、厳原町在住の大江氏から「耶良埼灯明台らしき絵が描かれた「古絵地図」を所蔵している人がいる」との話を頂き、早々にその持ち主である熊中氏と連絡を取らせてもらったところ、「古絵地図」ではないが古絵地図をカラーコピーをしたものを所蔵中であることが判明いたしました。
熊中氏によると、古絵地図の所有者は同氏の叔母に当たる方であり、同氏は、その古絵地図に興味を抱きカラーコピーを取って所蔵されていたとのことで、また、古絵地図には制作時期等の記述はなく、残念ながらいつ頃制作されたものかは不明であるとのことでした。
熊中氏所蔵のカラーコピーは、対馬東海岸の描写絵をコピーしたものであり、厳原港付近から黒島〜長崎鼻〜西泊〜三ツ島〜鰐浦を経て棹埼に至る8枚物で構成されていました。同氏に「古絵地図のカラーコピーをホームページに掲載したい」とお願いしたところ、快くコピーを譲っていただくことができ、また、同氏の叔母からも掲載の同意を頂けましたので、本邦初公開ではなかろうかと思われる大変貴重な古絵地図(カラーコピー)の一部をご紹介させていただきます。
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厳原港付近を描写した古絵地図のカラーコピー |
左地図耶良埼付近の拡大図 |
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この古絵地図からは、帆船が多数停泊し賑わいをみせる厳原港の様子が伺え、また、厳原港の入り口に当たる岬(耶良埼)の先端部には灯明台らしき絵が描かれ、「燈明タイ」と付記されています。
また、その燈明タイ近くの山頂付近には、耶良埼山頂付近に現存する石組とよく似た形をした「トヲミ」と付記された構造物が描写され、更に、耶良埼からひと尾根越えた隣の岬にあたる遠見埼に面した山腹には、「番所」と付記された建物が描写されています。
この古絵地図には制作時期等の記述はなく、いつ頃制作されたものであるかは不明とのことでありましたが、明治維新前後の版籍奉還・廃藩置県後は対馬藩は存在せず、藩政時代の「番所」等の呼称も廃止されていたと推測されるので、古絵地図は江戸時代に制作されたのではなかろうかと推察されます。
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〜石組跡の謎〜 |
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耶良埼山頂に現存する石組跡
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前々回の「耶良埼灯台・古代ロマン〜4」では、耶良埼山頂付近にある石組について、石組の規模や移設された灯明台の大きさなどから、『灯台役人が見張りに使用していた望楼の土台石組跡であり、灯明台の設置跡ではない』との推察結果に至りました。
今回入手した古絵地図には、山頂付近に「トヲミ」と付記された階段状の構造物が描かれており、また、現存する石組にも四角錐状の一方の面に昇降用と思われる石段が築かれ、両者にはこの良く似た特徴が見受けられることから、前々回の推察結果は強ち間違っていなかったものと思われます。ただ、前々回の推察では、『石組の上には見張り用の小規模の望楼が造られていたのではないか』とまで推察してしまいましたが、古絵地図には石組状の構造物しか描かれていないところをみると、石組そのものが見張り台の役割をしていて、その上に望楼等は造られていなかったものと推察されます。
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〜耶良埼灯明台の設置場所〜 |
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耶良埼灯台 |
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古絵地図から、「燈明タイ(耶良埼灯明台)」は、山頂付近に設置された「トヲミ」からやや下方の耶良埼の中腹付近に設置されていたことが分かります。
現在の耶良埼灯台も耶良埼の中腹付近に建設されており、この古絵地図が江戸時代に創作されたものとの推察に基づけば、対馬藩が設置した「耶良埼燈明台」は現在の「耶良埼灯台」とほぼ似た場所に設置されていたのではないかと推察されます。
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〜灯明台から灯竿へ〜 |
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耶良埼灯竿の記念碑 |
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明治9年に再建された耶良埼灯明台も、その後に海軍が設置した鶏知高濱灯台と紛らわしいとの理由から、明治20〜30年代頃からかなりの長期間に亘り海軍の要請により廃止を余儀なくされていましたが、大正13年6月に有志らによる資金提供により木製の灯竿が設置され、「耶良埼灯竿」として再び耶良埼に灯火が掲げられることとなりました。
耶良埼灯竿の建設を記念した碑が耶良埼灯台下の岩塊に彫られており、現在でもその内容の一部を読み取ることができます。
大正13年に設置された木製灯竿は、記録が残っていないために時期は不明ですが、厳原町の管理となり、その後、コンクリート製に建て替えられています。
また、この灯竿は、太平洋戦争を経て昭和23年10月2日に海上保安庁に移管され、現在も送電用の電柱代わりに利用されています。
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年 月 日 |
記 事 |
S23.10. 2
S24
S26. 6.30
S27. 4
S28.10.17
S30.12.16
S30.12.27
S31. 3. 1
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国営移管(毎三秒一閃光、アセチレン十四立)
厳原海上保安部所管
神埼灯台管理
見回標識となる。
光源変更 電灯三〇〇W、厳原海上保安部通信所より電源供給
電力線路寄附、径四粍裸銅線亘長三三三.八五間(木柱一二本)
径二.六粍二種線亘長一五九.五間(木柱五本コンクリート柱一本)
電線第四種二.二粍線亘長六.六間延長十三.二間末端柱より灯台まで撤去
石造円形 鉄梯子付コンクリート造四角柱 光源二八尺四 全長二九尺七
基礎0.三坪 基礎上四米撤去
灯台(鉄筋コンクリート造四角型白タイル張り 基礎より灯火中心まで六米一〇下部工作室、下水)設置
以下省略
※S23. 5. 1海上保安庁発足 |
耶良埼灯台の変遷の記録(対馬海上保安部記録資料より抜粋)
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上記の表中、昭和30年12月27日の記事に「石造円形 鉄梯子付コンクリート造四角柱・・・・基礎上四米撤去」とあります。「耶良埼灯台・古代ロマン〜2」において、「昭和31年に海上保安庁が厳原町建設の旧灯台を現在の耶良埼灯台に建て替える際に併せて灯明台の撤去作業をした」ことをご紹介いたしましたが、それに関する記事です。
昭和23年に厳原町から海上保安庁に移管された物が、灯台であったのか、灯竿であったのかについては、正確な記録が残っていないために不明でありますが、この記事からは、新しい灯台の建設に伴って昭和30年に撤去された物が、それまで灯台として利用されていたことが窺い知れます。
また、「石造円形」から灯明台が連想されますが、昭和27年当時に厳原海上保安部(現 対馬海上保安部)に勤務し耶良埼灯台を担当していた春野義男
氏が撮影した「旧耶良埼灯台」の貴重な写真がありました。 |
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昭和27年当時の耶良埼灯台 |
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如何でしょう。
昭和27年に現役の灯台として活躍中の耶良埼灯台は、驚くことに「耶良埼灯明台」だったのです。灯明台としての役割を終えて灯竿に変わったものの、いつの頃かは不明ですが、灯明台が灯台として復活していたのです。
更に、現在の灯台は、旧耶良埼灯台の跡地に建設されたものですから、耶良埼灯明台は現在の灯台がある場所に建っていたのです。
また、現在の灯台の脇には、先ほど記した耶良埼灯竿として利用されていたコンクリート柱も建っています。
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現在の耶良埼灯台と耶良埼灯竿(左のコンクリート製四角柱) |
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江戸時代に対馬藩が建てた耶良埼灯明台は、明治時代に有志によって再建され、軍の意向により一時役割を休止していましたが、大正時代に有志によって灯竿に姿を変えたものの再び活用され、現在の耶良埼灯台に至るまで、同じ場所で光を掲げ続けていたのです。
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〜蘇った耶良埼灯明台(旧耶良埼灯台)〜 |
耶良埼灯明台は、耶良埼灯竿に代わって、いつの間にか蘇っていたわけですが、春野氏の記録や耶良埼灯台の変遷の記録などから当時の復活した灯明台の様子をご紹介します。
写真や記録から、灯明台の屋根に当たる部位にコンクリートを水平に打ち込み、平らになったところを踊り場とし、踊り場の真ん中に灯器が設置されていることがわかります。また、厳原町から海上保安庁に移管された昭和23年には、光源としてアセチレンガスが使われていたことから、写真(昭和27年当時)の灯器はガス灯器だったようです。なお、光源は、昭和28年にアセチレンガスから電気に変更されています。
当時の関係者が思考・工夫して、石造りの純和風の灯明台を有効に活用していたことに驚き感嘆します。
現在厳原港2号岸壁に移設されている耶良埼灯明台の屋根は、再び元の状態に復元されていますが、その経緯については謎のままです。
あわや消えてなくなる運命であった貴重な歴史遺産である「耶良埼灯明台」を引き取り保存していただいた 吉田善助 氏、厳原港開港百周年記念事業として展示保存に尽力された実行委員会の皆さん、快く灯明台の寄贈に同意していただいた吉田有慶 氏に、本稿を借りて深く感謝の意を表させていただきます。ありがとうございます。
耶良埼灯台シリーズも、原稿作成途中で色々な資料が見つかる等したため、予定していた稿数を大幅にオーバーする6話となってしまいました。数奇な運命を辿った耶良埼灯明台は、これから先もずっと厳原港2号岸壁において皆さんの目を楽しませてくれるものと確信し、耶良埼灯台シリーズを終了させていただきます。
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