関埼灯台 | ||
せ き さ き と う だ い | ||
【 灯 台 要 目 】 | ||
初 点 灯 | 明治34年7月20日 | |
灯 質 | 等明暗白光 明3秒暗3秒 | |
光 度 | 5,600カンデラ | |
光 達 距 離 | 12.5海里 | |
高 さ | 地上〜構造物頂部 11b 平均水面上〜灯火 70b 地上〜灯火 7.72b |
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監 視 方 法 | NTT回線を利用した常時監視 | |
電 源 | 購入電力 | |
位 置 | 北緯 33-16-00 | |
東経 131-54-08 |
関埼灯台の概要 明治34年7月20日(1901年)に設置点灯しました。 設置時期の前後には日清戦争(明治26〜27年)と日露戦争(明治37年〜38年)があり、当時は文明開化の余韻を引きずり、 政治や軍事面で列国と肩を並べるため、国をあげてがむしゃらに前へ進んでいた時代でした。 当時の灯台は、光源に石油灯を使用していたため、電化された大正15年(1926年)まではレンズに付着する 「すす」の取り除き作業に難儀をしていました。 灯台設置当初に使用していた レンズは、フランス製で内径が約1メートルのものでしたが、大正7年(1918年)に取り替えられ対岸の佐田岬灯台に移設されました。 これに代り設置されたレンズは、一回り小さく、1870年にイギリスで制作さ れたもので、平成21年までの約90年間、関埼灯台で使用していましたが、現在は灯台の近くにある大分市が管理している「関崎海星館」に展示されています。 灯台設置当時の職員及び家族は、灯台敷地内にあった宿舎で生活しておりました。 昭和30年代までは今の観光道路はなく 、陸の孤島のような環境で、食料の買出しはもちろん、職員の子供たちは、狭い山道を5キロメートルも歩いて毎日、佐賀関の小学校まで通っていました。 昭和45年4月、関埼,姫島,安岐埼の各航路標識事務所が統合され、佐賀関航路標識事務所が発足し、これに合わせて関埼灯台は無人化されました。 その後も幾多の変遷を経て平成16年4月、大分海上保安部の管轄となり現在に至っています。 平成21年2月13日にLED化し、環境にやさしい灯台となりました。関埼灯台はこれからも船舶の航行安全のために光を点し続けます。 |
関埼灯台に設置した ライブカメラから速吸瀬戸や豊後水道の様子を見ることができます。 |
関埼灯台アルバム(写真集) |