姫 島 灯 台 | ||
ひ め し ま と う だ い | ||
【 灯 台 要 目 】 | ||
初 点 灯 | 明治37年3月20日 | |
灯 質 | 群閃白光 毎30秒に4閃光 | |
光 度 | 240,000カンデラ | |
光 達 距 離 | 20海里 | |
高 さ | 地上〜構造物頂部 12b 平均水面上〜灯火 57b 地上〜灯火 9.4b |
|
監 視 方 法 | 監視協力者による監視 | |
電 源 | 購入電力 | |
位 置 | 北緯 33-43-50 | |
東経 131-42-00 |
姫島の航路標識設置の始まり 『慶長年間(西暦1596年〜1615年)に小倉城主の細川忠興が、豊後国姫島で「かがり火」を焚いて航行する船に便宜を与えた』と記述されたものがあり、古くから付近を航行する船舶のための要衝であったことがうかがい知れます。 姫島灯台の始まり 明治35年(1902年)に、沿岸航路の重要地点だった姫島東端へ、航路標識を設置することとなり、2ヶ年の継続工事で総工費42,360円(現在の金額では米価換算で1〜2億円)が計上され、明治37年(1904年)3月20日完成、初点灯しました。 灯台の構造等 灯台は石造りで、使用した石材は山口県徳山に産出する良質の花崗岩で、旧稲積港(現在の稲積の港よりも灯台寄りにあった。)まで帆船で運搬し、陸揚げと灯台までの800メートルの道のりは、人力と「ろくろ」を使用した人海戦術で運ばれました。 灯塔は、高さ12メートルの3階建てで、1階が燃料室、2階が当直室、3階が灯室となっていました。 灯台の管理方法 明治37年から昭和45年3月までの66年間は、灯台守が直接管理をしていました。 昭和45年4月から灯台は自動化され、無人となり、佐賀関航路標識事務所が定期的に巡回して管理しました。 平成5年4月からは、事務所が統合され、大分航路標識事務所が管理を行い、平成16年4月からは、大分海上保安部の管理となり、現在に至っています。 |