昭和26年日本全体が戦後経済の復興に明け暮れていた頃、当時の酒田海上保安部では何とか職員の志気が上がる方策はないものかと考えた末、「酒田海上保安の歌」を作ろうということになりました。
地元山形新聞社の後援を得て全国公募した結果、三重県の公務員伊藤圭三郎さんの作詞が採用され、作曲を当時の酒田高校(現酒田東高校)の音楽教諭、高山菊司先生にして頂きました。
高山先生は武蔵野音楽学校師範科へ入学後ピアノを高木東六先生へ師事されており、新潟大学音楽学科主任教授を歴任、平成元年3月定年退官、平成7年(享年71歳)に逝去されています。
また、この歌は当時、酒田出身の歌手岸洋子さんら酒田高校女子生徒の合唱でレコーディングされ、海の治安や海上の安全を担う酒田海上保安部職員も、この歌を歌ってどれほど勇気づけられたことでしょう。
昭和23年に発足した海上保安庁でありますが、当時は、朝鮮動乱に伴い日本海、津軽海峡に浮流機雷が激増、危険の伴う機雷処理も海上保安庁の重要な業務でした。
しかし、時は移り、当時の人も転勤等でいなくなり、長い間、レコードの行方さえもわからない、まぼろしの歌となっていました。昭和50年、保安部倉庫の中から古ぼけたレコードが見つかりましたが、その後又行方不明になったままでした。
平成12年、ふとしたきっかけでカセットテープが市内で見つかり、機会があれば職場の皆様で歌い続けて欲しい。」とのことでした。
なんとかしてこの歌を陽の目を見せるべく試行錯誤していたところ、高山先生の七回忌にあたる年に、「高山菊司七回忌メモリアルコンサート」が開かれるということで、先生の奥様並びに本演奏会主催者(先生の長女代表ピアノ教室「のばらの会」)の方々の御厚意により、多くの聴衆の前で「酒田海上保安の歌」が合唱され、50年ぶりによみがえることとなりました。
この日に向けて職員は、酒田東高校の音楽講師関屋順先生の指導を受け勤務時間後等を利用して猛練習をしてきました。このイベントは海事関係者等と全く係わりのない一般市民の方々との交流であり関心も高く、地元のテレビ、新聞にも取り上げられました。
今後、職員一同、二度とまぼろしの歌にならないよう21世紀に向けて歌い継いで行こうと気持ちを新たにしています。