海の道しるべ
    としての発達

 人々が船で大洋に乗り出すようになると、安全な航海のために灯台が建てられるようになりました。世界最初の灯台は今から約2300年前にエジプトの港の入口にある島に建てられたといわれています。日本では1300年以上昔の遣唐使の時代に灯台の役割を果たしたものがあったようです。”海の道しるべ”である灯台などを「航路標識」といいますが、ここでは航路標識がどのように発達したかをご紹介しましょう。




世界で
  一番古い灯台

 世界で一番古い灯台は、紀元前279年に建てられたエジプトのファロス灯台だといわれています。当時の地中海は船の利用が活発になり、エジプトのアレキサンドリア港にもたくさんの船が出入りしていたことでしょう。その船の安全な航行のために、港の入口にあるファロス島に20年かけて高さが135メートルもある灯台を建てました。
 この世界最初の灯台は1477年まで1700年以上も使われていたそうです。


エジプトのファロス灯台
(世界で一番古い灯台




日本で
  最初の灯台

 記録に残っている日本で最初の灯台は、昼は煙をあげ、夜は火を燃やす「篝火(かがりび)」です。九州地方の岬や島に築かれ、遣唐使に利用されていたようです。江戸時代になると、石積みの台の上に小屋を建て、その中で火を燃やす「かがり屋」や「灯明台(とうみょうだい)」が建てられるようになりました。灯明台は明治時代のはじめまでに、日本に100以上も建てられました。この灯明台のほかにも、海辺の神社などの常夜灯が灯台の役割を果たしていました。慶長13年(1608年)に能登国(のとのくに)福浦(ふくうら)の日野吉三郎という人が建てた灯明台が、日本で初めて油を燃やした灯台といわれています


灯明台(とうみょうだい)
(日本で最初に建てられた灯台)




西洋式灯台の
      誕生

 江戸時代の末期の慶応2年(1866年)、開国によりアメリカ・イギリス・フランス・オランダの4カ国と結んだ「江戸条約」で灯台の設置を義務づけられた幕府は、フランスやイギリスに灯台のレンズや機械の導入と技術の指導を頼みました。明治政府がこの仕事を引き継ぎ、フランス人技師ヴェルニーやイギリス人技師ブラントンらの指導によって明治2年(1869年)に西洋式灯台の第一号となる観音埼灯台が神奈川県三浦半島に完成しました。外国人技師が日本を去った後は、彼らから灯台設計・建築・保守・管理などを学んだ日本人たちが、日本の航路標識を設置して守る担い手となっていきました。大正時代になると日本の経済、海運の発展とともに航路標識の数も増え、その種類も以前の灯台や霧信号所、潮流信号所のほか、昭和の初期には電波による航路標識である無線方位信号所もできました。


フランソワ・レオンヌ・ヴェルニー R.H ブラントン

初代の観音埼灯台
(西洋式灯台の第1号)


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